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きんりんバックナンバー

Viridian

学芸大学 きんりん vol.4

Viridian

木製の階段に記憶の針がかすかに反応した。建物の名前が小学生の頃通った歯科医院の名を冠していなければ、降り積もった時間ですっかり霞んでしまった像に焦点が合うことはなかっただろう。医院はいつも混んでいた。待合室では立っていることもしょっちゅうだったし、その階段にまで人が溢れている日もあったのだ。今、帽子屋Viridianのアトリエを心地よく感じさせる窓が、その頃も北を除く三方位に同じように巡らされていたのかは思い出せない。不機嫌そうな大人ばかりに囲まれ、いつ呼ばれるかも分からないそこは、十歳前後の子どもにとって、息苦しいだけの閉所だった。

手づくり帽子屋の店主、小林愛さんがこのフロアに入る前は、整体治療院だったので、一階のゴルフ用品専門店ともども、我がことに非ず、と通り過ぎるだけだった。とはいえ、私が帽子屋に誘われるはずはないから、はじめの一歩は小粋な看板に呼ばれてだったのか。惹かれた店名からは商い物が分からない。扉脇のガラスのはまった小さな函には帽子が一つ飾られているが、ディスプレイの小物とも見える。扉を入り階段を上がる。生花や壁の帽子、自転車、針金細工、額に入った古版画、こちらの眼差しに合わせて一つひとつが控え目に会釈をしているようで、いざなわれる、という言葉が浮かぶ。

Viridian

住まいからViridianまでの距離は、これまでの「きんりん」で紹介した方々の比ではない。なにしろ、マンションのベランダに出れば、斜向かいの建物に出されるオープンの看板が見おろせるのである。所在を確かめるのはLineを打ち込むより早い。距離は目と鼻であっても、私は帽子と無縁だった。浴衣と帽子、この二つが自分に合うとは、どうしても考えられない。

自分で帽子を買ったことは一度だけあった。つばに船員風の飾り模様が施された男物のカスケット、内側に購入したパリの店のタグが貼りつけられている。Bd Poissonniere、魚屋大通りと、決まりすぎてはいる。ジャン・ギャバンのような渋くていかつい男が似合いそうな濃紺のしっかりしたつくりだ。自分用ではない。華奢な家人が少しあみだに被ったら、似合うのではなかろうかと思ってのことだったが。

Viridian

絵本や童話を通して知る手づくり帽子屋さんには、ひとり商いが多い。店主の年齢性別は、おばあさん、おじいさん、そして愛さんのような若い女性と様々だ。宮崎駿監督の映画「ハウルの動く城」では、主人公の娘ソフィーが帽子屋を継いだ設定だったが、その店はひとり商いではなく、何人もの縫い娘が働いていた。ソフィーが一人で帽子づくりに励む作業机は外に向いた壁にくっついており、窓が目の高さにあるので、どことはなしにViridianと似たところがあった。

愛さんのアトリエのほとんどの部分は作品展示スペースにゆったりと当てられていて、作業場所はミシン一台と縦長の作業テーブル、そして入口ドアに面したガラスケースだけである。型紙や布が積まれた作業台は緑葉が揺れる東側の窓に面している。作業台の前に座ると、右手が南面の窓、そしてこの位置からだけは素通しガラスの入口ドアの向こうに階段側の北の窓が見える。振り向いた位置にミシンがあり、胸高の仕切り壁が衝立の役目をしている。展示スペースに配された椅子、小机、鏡などの調度は異国の街の店を思わせ、聞きなれない中欧あたりの言葉が聞こえてきても不思議はない。目に留まった帽子がぴったり合えば、そのまま頭に載せて木の階段を下りて行ける。扉を開けた目の前が目黒区の一角だと思いだすのにちょっと間があくだろう。

家人の夏冬物の帽子をそれぞれViridianでつくってもらった後、私も何度か唆されて、ついに新調。デザイン、素材、色合い、何をとっても申し分ないのだけれど、身に付かない物はすぐに置き忘れてしまう。本来、新しい帽子は旅立ちの日の高揚に近いのかもしれないのだが、できあがって二ヵ月も経たないうち、山陽新幹線の座席に置いてきてしまった。幸い、遺失物として届けられて数日後に帰ってきた。縁切りとはならなかったのだ。

私同様、Vridianが何の店か分からずに入ってくる人は少なくないという。「帽子屋だったのか、被らないんだよね」と直ぐに帰ってしまおうとするのを引き留めて話をしつつ興味をもってもらい、流れにのせて買っていただく。「街角の帽子屋の醍醐味」だそうで、この私はモデルケースなわけだ。近隣の方からはじまって少しずつ遠くへ、水面の輪が広がっていくようにお客さんが増えるのを、愛さんは理想としているそうだ。現在、その軌道は外れていない。

Viridian

愛さんがViridianを名乗ってから2018年で15年目になる。同じ東急線の自由が丘駅近くに実店舗を開いたのが2007年、学芸大学駅の今の場所は2011年からである。

自由ヶ丘の店は家具屋さんとの共同利用で、現在の三分の一ほどの広さだった。狭くても、家具屋でも帽子屋でもない、イギリスのパブ風の雰囲気を目指していた。気楽に覗けることが肝心だ。通ってきてくださるお客さまも指折り増えて、周辺で帽子を置いてくれる場所も現れた。

しかし共同の難しさ。仕事の不調は身体の変調と結びがちだ。免疫不全で肝臓を壊してしまったのだ。ひと月程入院もして、副作用の強い薬ですっかり気力が萎えてしまい、店をたたみ、帽子づくりからも遠ざかってしまった。もう二度とつくる日はこないなと。

2010年の秋、学芸大学駅に食品関係の店をオープンすることになっていた友人に誘われ、開店直前の店舗を見に行くことになった。歯の矯正で通っていたことがあったので、見知りの駅界隈だ。体調はまだ万全ではなく、気分も低迷していたのに、開業のカウントダウンに入った友人の熱気と活力が伝わったのか、街がとても生き生きと感じられてきた。「呼ばれた」としか思えないことは起こる。それが心身の蘇生ということかもしれない。駅前の不動産屋の張り紙に、「オトリ」かもしれないと勘繰りたくなるほどの好条件の物件があったのだ。尋ねると、すぐに見られるという。窓壁の一辺が斜めに切られていて、二階とはいえ、愛さん好みのヨーロッパの屋根裏部屋が重なってきた。「あそこを引っぺがし、ここを塗り替え」と次々に望みが湧き出てきて、新しい店の下絵がまたたく間に描きあがっていた。家主さんは元歯医者さんだった(歯医者がらみ!)。

もちろんそれからも、いろいろあった。でも、私たちの知る愛さんは憂い顔ではない。

Viridian

Viridianの広やかなスペースを活かして、愛さんは実に様々な催しを企画し続けている。

普段はおとなしかったけれど、小学校のお楽しみ会などになると、自分から次々にアイデアを出すタイプでした、と愛さんは振り返る。クラスの文集にも「人に楽しんでもらえることをしたい」と書いていたそうで、イベントの創意工夫は生来なのだろう。

画家の友人と組んだイベントの趣向はこうだった。一枚の白布に画家が絵を描く。その間に帽子屋は別な白布を裁断。二人の作業中はアコーディオンとジャンベの男子二人組が即興演奏。ジャンベ担当は愛さんが兄貴と呼ぶ、古書店流浪堂の二見さんだった。後半は布を交換する。絵の付いた布を帽子に、白地の帽子に絵を載せる。この催しは誰よりも演者たちが楽しんでいた。そうなのだ、帽子づくりも催しも、愛さんにとっては共に楽しむための種子である。

何もかもが帽子と結びついているわけではなく、気に入りの映画の上映会も催しているし、臼杵を衝動買いしたカメラマンの友人がつくった「餅つきユニット」に場所を提供したこともある。この日のために愛さんがこしらえたスタッフ用の白い帽子には引き延ばされたお餅に見立てて、丸い膨らみが付けられていた。我がマンションの駐車場の一角を拝借して臼を据え、Viridianのアトリエで蒸した餅米を抱えてダッシュ、搗き終えると再び駆け戻って、アツアツを丸めて、あんこきなこ大根おろし等をまぶし、皆で頂く。子どもたちの参加もあっての大賑わいに、「餅つきユニット」の白帽子が派手に揺れていた。

2014年の「HATS & THE BEATLES」に集まった人々は、私のようにビートルズが来日したときのことを覚えている世代から、ジョン・レノンが殺された後に生まれた年齢まで幅広かった。愛さんはジョン・レノンの「Imagine」を聴いて育ったのだ。お父様が胎教に選んだ曲である。この上ない贈りもの。生まれてからも、「Imagine」を流すと、ぴたりと泣き止んだという。心に「Imagine」、暮らしは「Let it be」という愛さんである。

Viridian

愛さんには子どもの頃から特技がある、能力というべきか。かなり時間が経っていても、人の顔や着ていた服の柄などを細部まで話せたのだ。親たちから、そんなことまで覚えていて気味が悪いと云われてしまうくらいだった。記憶力とは容量の問題ではなく、呼び出しの早さ、正確さである。

「この間お召しになっていたジャケットに合いますよ」と、何カ月も前に着ていた服の色や模様まで云われた天野さんも、愛さんに驚かされたViridianファンのお一人だ。天野さんは通勤途中にあるアトリエが気にかかりながらも敷居が高かったという。気難しそうな店主の姿が想像されてしまい、なかなか踏み込めなかったのだ。だから、ガラス扉越しに目が合い、展示の作品を見渡した時の昂ぶりは忘れられない。注文主というより、共同制作者の気分を味わうのは、さりげなく希望を読み取ってくれるからだろう。オーダーした帽子の刺繍が気に入って、同じものをあしらった「スカート」をお願いした。「縫い縫いなら何でも」と愛さんはハンドワークも柔軟。

一方、数年来夏冬ものを必ずオーダーしていると仰る石川さんご夫妻は、初めて通った道で見上げたViridianを躊躇なく訪れている。リフォームした家に合うものを求めて目黒通りの家具屋巡りをした帰りに、たまたま入ってきた道路沿いにViridianの窓があったのだ。元々帽子が好きだったが夫人の明子さんは、その日すぐに気に入った帽子に会い持ち帰った。しばらくして別な色で、同じ形のものも欲しくなって再訪することに。夫妻の住まいは埼玉県の鴻巣、アクセスは便利ではないけれど、帽子の引力は滅法強い。ついつい長居してしまう場所の磁力だ。

夫の愼一さんの方は鏡の前で初めて誂えた帽子を被り、「お似合いですよ」「似合うわよ」と重ねて評されても、そうかなと半信半疑だった。旅行中に撮ってもらった、その帽子姿の写真を見て納得した。過不足なく背景に収まっている。「うん、僕に合っている」と。

今回写真を撮らせていただいた権田さんが、帽子ハードユーザーになったきっかけは、Viridianでのイベントだった。そこで展示していた陶芸家が友人のパートナーだったので立ち寄ってみたのだ。それまで登山の日除け以外で帽子を被ったことはなかったのに、手づくり帽子に魅せられた。以降、毎年注文しているが、薦められて選んだ生地からは、まったく想像しなかったものができてくるので、出来上がりの日が待ち遠しい、と言う。

移動の電車内も愛さんの作画帳であり、アイデアソースとなる。端に座る外国人旅行者の奇抜な柄シャツ、居眠りをする青年のジーンズの膝当て、小学生姉妹のちょっとずつ違う麦藁帽子のリボン。目の前のすべての素材を切り取り、入れ替え、貼り直す、いつまでも飽きない時間。

愛さんは夢の中でも帽子をつくっている、考えている。そして夢もまたしっかりと覚えている。帽子が三面の窓から次々と飛んでゆく夢を見たことがあるそうだ。街々へ人々の元へ、手づくり帽子がUFOの一団のように飛び広がってゆく夢だった。これは理想実現の夢なのかもしれない。

Viridian
目黒区鷹番2-17-13、2F
この記事を書いた人:ecrit
エクリは、東京の編集出版事務所です。 平凡社コロナ・ブックスをはじめ、専門性の高いビジュアル・ブックから、展覧会図録まで幅広い編集と、年に一冊のペースで、詩画集を始めとするアートブックを刊行しています。 また、事務所内に併設された「木林文庫」では、古今東西の「木」にまつわる本が集められています。予約制の図書室として一般公開しています。