le Marais, La Maree
「マレ」の響きは床しく懐かしい。二十代に約二年半住んだパリ四区のセヴィニェ夫人通り(rue de Sevigne)はマレ地区にあり、アパートの一階は「マレ」の名を冠したブラスリー(カフェ・レストラン)だった。その二年半を除いて、私は目黒区の碑文谷と鷹番に住み通し、他の場所を知らない。移動を繰り返す刺激と創造に満ちたラディカルな生き方が「ノマド=遊牧民」と括って称揚されるけれど、私はまったくの逆で、パリでも同じ部屋に居続けた。移動を厭うわけではないが、元来無精で三(三十)年寝太郎を決めこみ、ふだんも新ルート開拓を怠る。だから学芸大学近隣のビストロ「ラ・マレ」を見知ったのは、七年前の開店のかなり後になってからのことだった。
マレ地区と「ラ・マレ」、カナ読みは同じでも、フランス語のスペルは少々異なる。意味はどちらも水に関わっており、マレ地区(le Marais)はかつて一帯が沼地だったゆえであり、「ラ・マレ(la Maree)」の方は潮の意だ。店名の「ラ・マレ」はオーナー・シェフの苗字、潮田さんから名づけられたものだという。
私たちが初めて「ラ・マレ」の料理を口にしたのは店内ではない。二〇一五年三月の木林文庫での小宴に「あんぐいゆ」の木村さんが持ってきてくださったオニオン・キッシュが初食いだった。オードブル盛り合わせにも付いている定番の一品なのだと後に知った。あの日のメンバーは何人くらいだったろう。口にした皆から次々に歓声があがった。「ビストロでは料理が主役ではありません。美味しかったよりも楽しい時間だった、が自分にとって何よりの讃辞」という潮田さんが立ち会っていたら、満足げにはにかんだに違いない。
「初めていらした日にお断りして」。日曜日にだけ供されるランチをいただいたとき、カウンター越しにディッシュ・プレートと最後のコーヒー・カップを受け渡しながらシェフが言った。やはり覚えていらしたのだ。初めて訪れたその日もランチタイムだった。午後の予定を控えていた私たちが、小一時間で食べ終えられるかを尋ねたところ、それは無理ですと「やわらかく峻拒」されたのだった。立ち蕎麦感覚で入店しようとした私たちはひどく礼儀知らずであった。夕方以降は一杯のワインだけで引き上げることもできるが、週一度のランチはセットメニューなので早出しは無理である。
「出せないものはサービス」と潮田さんは言う。時おりアルバイトがカウンターに入るときもあるが、店内のカウンター六席、テーブル一つを一人で切り盛りする。だから注文が重なると、否応なく供応が遅くなってしまうのだ。
バスケから料理人へ
横浜生まれの潮田さんは県内の中学、高校でバスケットに打ち込んだ。「国体に行けなかったのが心残り」とおっしゃるが、神奈川県は強豪校ひしめく激戦エリアである。大ヒットしたバスケット・コミック『スラムダンク』のモデルになったとされる高校もある。コートがすべての六年間を過ごし、大学のバスケット部から誘いも受けたけれど、自分の力では通用しないと見切りをつけていた。ボールを置いて、二十五歳までには将来の基礎づくりをと心決めしての針路は食方面。ひたすら量を食べる運動部員の食事は、質を問う飲食業とは無縁の日々だったが、強いて関連をあげれば、父が海産物の配送を手掛けていたので新鮮な魚介を口にする機会に恵まれていたことだろうか。
料理人になりたいという潮田さんのために勤め先を探してくれた人は「最初に経験する処のレベルで将来が決まる」と考え、ホテル・オークラの洋食部門を推薦したのだった。総料理長以下二百人の料理人を擁する自他ともに超一流を誇るレストランだ。各国の要人たちが絶えず往来し、確固とした評価を得ている場で、わずかの妥協も許されない味づくりを学ぶという、申し分ないスタートである。
バスケットで培った体力と大きな声での挨拶だけが手持ちの財だったと潮田さんは笑うが、先輩シェフたちの容赦ない篩から振り落とされずステップアップしていくためには、体育会系根性など何の助けにもならない。
膨大な量の選び抜かれた素材に何度も手を触れることは、駆け出しの料理人見習いにとってこのうえない経験だった。繰り返し作業は責め苦ではあったけれど、巨大ホテルで働く良さもまたこの数の力にある。基礎がゼロでもハンディキャップとは思えなかった。調理学校卒業生の方が何一つまともな仕事を任せてもらえないストレスが大きかっただろう。様々なセクションを回わされ、ついに「火」の前に立てたときは嬉しかった。「火と友達になれるのは料理人だけだ」という上司の一言が胸に響いた。
「食べるのが好きだから、食べるのが好きな人のために料理する」との思いを抱きながら、「お前、想像力がねえなぁ」と永遠に続きそうなダメ出しに「鬼」とも口走ったが、二十数年を経て思うのは、先輩の言っていたことはすべて正しかった、というしみじみとした気づきである。
ハワイ、フィレンツェ、そしてリヨンのポーチドエッグ
「自分の原点はハワイです」と潮田さんに言われ驚いた。料理の内容や店の名から、フランスかイタリアがベースだろうと思い込んでいたのだ。オークラに勤務して十年後、二十八歳のとき、ハワイのコナ地区にオープンするシーフードレストランのシェフにと誘われた。従業員十数名の規模で、基礎作りから一任という条件は、将来に向け店舗の運営を身に付けようと考えている潮田さんに否やはなかった。配管工事を仕切ってくれた長が、開店早々郎党三十人を引き連れて貸し切ってくれたりもして、お客さんにも従業員にも恵まれた日々だったという。
海と大空、四千メートルを超える山といった壮大な自然に包まれていると時間の流れもまた変わり、外界とともに心の深みでも視界が鮮明になるのだった。自分と他者をかつてないほど謙虚に見つめて、ハワイでの日々ほど考えにふけったことはないという。ハワイに移る前は、バスケットコートとホテルの調理場で、課せられた時間とだけ闘う十五年だったのだ。
ハワイでの三年を経て、フィレンツェのレストランで数カ月働いた後、イタリア全土を食べ歩きで回り、さらにフランスに入った。リヨンのレストランで食べた砂肝とベーコンとポーチドエッグに感激して翌日も食べに行き、ラ・マレの定番メニューになっている。キュウリを除いてボリュームある食材を使っているのに濃厚さを感じないのは、酸味のあるドレッシングが利いているからなのだろうか。
一方、誰もが推す「オニオン・キッシュ」はアルバイトさんのリクエストがきっかけだという。他店で食べたキッシュが美味しかったので、「シェフもつくってみてよ」と言われたのだ。そして試作の結果、「こっちの方がずっと美味しい」との一声を受けて今に至っている。四時間炒める玉ねぎは香ばしい甘味が際立って、いつ食べに来ても初めてのよろこびが繰り返される。赤ワインにもよく合う。二人でこのキッシュと一杯ずつの赤があれば、学芸大路地が異邦の地にスリップしそうだ。
学芸大学路地の深い時間
この路地は学芸大学東口商店街を入ってすぐ右に折れてはじまり、六十メートル程続く。車一台を通す幅の両側に連なるのは、焼き鳥屋を中心にした呑み屋である。潮田さんが入る前のラ・マレの店舗は串かつ屋だったそうだ。この道のとっつき近くにあるラ・マレのドア窓から洩れる光は仄かで、外装は夜闇に溶け込んでいる。ひっそりとした佇まいは、気取ってスノッブな匂いを感じさせることもない。しかし、路地の所々にワンポイントのように店を構えている陶器屋や洋品店、路地のはじまりに張り付いた金魚や小鳥のいるペットショップさえ、この「呑み屋横丁」から浮き上がることはないのに、ラ・マレへの扉は、他とは異なる時間に誘われるように感じられるのが不思議だ。ラ・マレという名への私の思い入れがバイアスを施しているのかもしれない。
海外での数年を経てから学芸大路地でLa Mareeを開くまでに、潮田さんは縁の横浜で店を持ち、軽井沢のホテルで総料理長として勤務してきた。三時間睡眠などという無茶働きもした。そして改めて思ったのは、勧め甲斐のあるワインを用意し、喜んでもらえる味を供する小さな場所に立とう、ということだった。
小さな場所の深い時間。自分がどこにいるのかを忘れてしまう。La Mareeで過ごしているとき、家人はよくそう言うのである。ワインのせいではなかろう。
日をまたぎ生地がゆるむワイン
「良いワインは」と潮田さんは言う、「いつまでも呑み続けられることだ」と。
過日、カウンターに座った一人の男性が赤のワインボトルをオーダーし、料理一品だけでゆっくりと滞ることなく呑み続けていた。ワイン通やグルメを気取る薀蓄客は「掃き出したくなる」と潮田さんは強い口調になるが、彼の人は実に静かにグラスを傾けている。二日間で呑むのだという。開栓して二日目のワインからは新たな香りが立ち上がって、初日とは異なる味わいをみせる。呑み飽きないのは、この味の変容に浸れるからなのだ。「呑み続けられる」とは、ぶっ通してということだけではなく、日をまたぎ越してさえの意もある。
生地がゆるんで新たな味と香りが通り抜けるのだと、稠密に織り込まれた布地にたとえて、潮田さんは説明した。品質が劣るのは地が粗いので、変容ではなく変質するからなのだと。
四十年呑み続けてきた自称「ノムリエ」の彼がラ・マレに置いているのはすべてフランスワインだ。味が安定していて、自信をもって提供できるのだそうである。ラ・マレのグラスワインの質の高さは、一つ一つ丁寧につくられた料理の味、そして「お勘定」とともにファン共通の讃嘆の声なのだ。
「好きなものを好きなだけ」を店の是とするビストロで、初夏の宵にオーダーした一品と一杯は人気メニューの小エビのグラタンとアルザスの白ワイン。
グルメ談義とは無縁の食通、池波正太郎がこの一皿を口にしていたら、間違いなく何度も足を運んできただろう。池波の食の名エッセイ『散歩のとき何か食べたくなって』で一貫して讃えられているのは、確実な技と経験に裏打ちされた、気取らずに美味い物を食わせる処である。散歩どころか、住まいからスニーカーをつっかけて出かけられる身近さのなかに私たちはいる。
カウンター背後の壁の色は、開店時、潮田さんがもっとも拘って塗りに立ち会ったフレスコ風合いのピンク。そしてカウンターの上に並べられたワインボトルには、お客さんが彫ったというコルク栓細工が差してある。初めて店を訪れた日、すぐに目に入ったのがこのコルク栓だった。私たちには馴染のオブジェなのだ。エクリが画集を出版したフランスの画家クートラスがやはり手遊びでワインやシャンパンのコルク栓を削っていた。クートラスは人物が大半だが、店内のものは鳥が多い。ウサギもいる。
カウンターの向こうの潮田さんの笑顔が、声を掛けがたい緊張の面差しに不意に入れ替わる。それはいつもほんの一瞬だ。料理職人=アーティストの顔は手の中に、そしてスプーンにさっと触れる舌の奥に潜んでいる。
ラ・マレの味
明かるい時間に味わうラ・マレの味、日曜ランチ。サラダからはじまってスープ、オードブル・プレート、メイン・ディッシュ、そしてコーヒー。この日のスープはカボチャのポタージュ。「塩で飲ませるな」とホテル・オークラで鍛えに鍛えられたスープ道の成果。形はなくなっていても、一匙口に入れれば元の野菜の姿が立ち上がってくる、それがポタージュなのだという。スープ好きの夫は初回の入店で出会ったヴィシソワーズに驚喜していた。素材は季節ごとに多様だ。新玉ねぎ、カリフラワー、グリーンピース、マッシュルーム、そして下ごしらえで腱鞘炎を起こしそうな栗。どんな季でも幸せな一碗が用意されている。
皮むきの刃の流れに見ほれていると、「玉ねぎは可愛いですね」とおっしゃる。来店が少なくないという同業者の方がシェフの手元を注視するのは当然だけれど、プチトマトへのナイフの入れ方を見ていて、この店の味は間違いないと言ってくれたのは歯医者さんだったそうだ。
プチトマトが添えられた小さなガラス皿のサラダがカウンターに置かれる。その瑞々しく新鮮なサラダが連れてくる爽やかさはここだけのものだ。野菜のジュースたるオリーブオイルと「塩の花」という名の海塩、お金を掛けるのはベーシックな二つという。そして、どの料理にもトッピングはしない。皿の縁に点描を施さない。
そう、マレさんの料理を前に思うのはさりげない日常。それは一番心地よい,気持ちに寄り添う味と姿。疲れたときに聴きたい音楽のような。樹々の緑が懐かしい風景のような。ほっとくつろぐ部屋着のような。
料理を前にしてため息がもれるのではなく、箸を付けるのをためらうこともなく、普段どおり「いただきます」。そしていただきながら思い出すのは、何の変哲もない同じ路を歩む人々の、静かな日々の営みが、選び抜かれた言葉で紡がれてゆく物語。
入念に時間をかけ、その空間の充足のためにつくる歓びは、潮田さんの技への自負につながっているに違いない。
制作 :エクリ
写真 :大野貴之
ロゴ :伊藤弘二
デザイン :須山悠里
文責 :須山佐喜世/須山実(エクリ)
La Maree(ラ・マレ)
目黒区鷹番3-3-10
営業時間:月~土18:00~23:00 日12:00~14:00/18:00~23:00
火曜日定休