二〇二〇年七月七日にリリースされたパイプオルガンのCDを頂いた。我が家では二枚目になるパイプオルガンのCDで、既にあるのはバッハ、そして二枚のレコードもバッハである。レコードは結婚する前にそれぞれ買ったもので、屈指と言われたカール・リヒターの演奏によるシリーズの盤だが、うまい具合に私が第一集、家人が第二集。四つのジャケットはどれも録音に使われたパイプオルガンの図柄だ。LPを飾るオルガンはコペンハーゲンのイエスボー教会、CDはマサチューセッツのメスアン・メモリアル・ホールとある。そして新しいCDのジャケットは柔らかな色合いのパイプオルガンのイラストレーションである。端正で落ち着いた光を放つこのオルガンは軽井沢コルネ音楽堂のもので、二〇〇一年にフランスで組み立てられている。制作を依頼した音楽堂主宰の大澤圭三氏は、二五〇年程前のフランス古典期の曲の演奏に相応しい音質の設計を依頼したのだという。収められている曲はバッハではない。音楽堂が主眼としたフランス、スペインの作曲家による初期バロック曲と日本の作曲家、柿沼唯の「6つのプレリュード」と「星」という構成である。
このアルバムで演奏している小島弥寧子さんは、国内だけでなくヨーロッパ各地でも演奏されているオルガニストだ。その彼女が一時期、自分の出す音に納得を得られず、行き惑ってしまう日々があったという。当時指導してくれていた師が、フランス古典の曲を弾いてみないかと小島さんを誘った。壁に窓を穿ち風を入れてくれたのだ。静かに吹き入った風が、フランス古典に合わせて構築成型されたコルネ音楽堂のオルガンへと導く。二五〇年前の音のために精緻に整音された名器に向かい、一音一音確かめながら音をつくる時間。このオルガンではじめて音を出してから十五年以上を経ての、好きなオルガンでCDをつくりたいという夢の結実が、私たちが頂いた「星月夜」である。以前からパイプオルガンの音色は好きだったが、「星月夜」には聴いたことのない清冽な香りがあった。
小島さんがはじめてパイプオルガンの音色を耳にしたのは、七歳か八歳の頃、国際基督教大学の礼拝堂でのオルガンコンサートだった。豊かな音を身体いっぱいに浴び、共振し、感動に満たされて、終演後、演奏台に駆け寄った。この楽器に触ってみたい、自分で音を出してみたい、音と共に駆け回りたいと願ったのだった。幸福なファーストコンタクトである。
当初、演奏家になりたいと考えていたのではなく、十代の頃の小島さんの将来像は音楽の教員だった。しかし、一つ事だけに集中する性格の自分には、幅広い課目の受講が求められる教育学部は向いていないように思えた。進路を相談した際の「むかしオルガンを弾きたいと言っていたよね」という幼馴染の言葉が呼び水だった。触れたいという気持ちだけで、小島さん自身はオルガンを習ったことがなかったので、実技をピアノで受験できた玉川大学芸術学科に進む。音楽専攻八十人の中でピアノ科がその半数弱、オルガン科は二人、上の学年では四年生が三人だけだった。母親は進路を後押ししてくれたけれど、父は諸手を挙げてではなく、援助は必要最小限だと条件付きだった。
二年生になったとき、他の楽器を専攻する学生たちとの合同で、コンサートが企画された。大きなパイプオルガンのあるコンサートホールが会場だった。家族に聴いてもらいたくもあり、「人集め」も必須だったので、親戚にもチケットを配った。終演後の感想がすこぶる良かった。パイプオルガンの音を初めて身を入れて聴いたほとんどの人がそうであるように、皆、音の豊かさに驚いたのだ。オルガンといえば、小学校の足踏みオルガンが浮かぶだけだった祖父は「何故、大学まで行ってそんな楽器を」と呆れていた一人だが、「大きな楽器やなぁ」と嘆声を上げていた。父もまた態度が一変した。自分の想像を遥かに超えて、パイプオルガンの音は人を打つのだ。一台でオーケストラに匹敵する多彩な世界を現出させる。音色はたおやかであり、また重厚荘厳である。
小島さんは玉川大学を卒業した後、武蔵野音楽大学大学院に進み、さらにはフェリス女学院大学ディプロマコースで経験を積んでいる。演奏家へと舵を切り直したのだが、パイプオルガンを弾くために学ぶべきことは演奏技術だけではない。後の横浜みなとみらいホールのオルガニストインターンシップでは、楽器に不具合が生じたときの応急の対応も学んでいる。オルガンの内部点検で梯子の昇り降りもするのだ。
パイプオルガンは特異な楽器だ。風琴の字が当てられている通り、風を送って音を出す原理以外は、時代により地域により規模構造がかなり異なるのである。パイプオルガンの整音はその空間がもっとも喜ぶよう企図されているので、本来据えられた場所だけのものだといえる。楽器の音色と個々の場所が生み出す残響が一体となって、無二の響きをつくり出す。私たちの手元にあるCDやレコードのジャケットが、演奏に使われたパイプオルガンを見せているのは、そのためかもしれない。
オルガンによって弾き方もふさわしい曲も違ってくるので、はじめて演奏する場合は、あらかじめ試してみるのが望ましい。小島さんもはじめてのオルガンでコンサートに出演するときは、プログラムを決める前に試奏させてもらう。海外などで試奏が叶わないときは、オルガンの仕様を読み込んだり、その楽器で録音されたものを探したりする。「楽器の息遣い」という言い方を小島さんはする。パイプオルガンならではの表現で、その息遣いは千台千様なのだ。だから旅は果てしない。
いつか弾いてみたいと願っているのは、スペインの都市コルドバにあるメスキータ=カテドラルのオルガンだそうだ。この教会はスペインがイスラムの支配を受けていた時代のモスク内にカトリック聖堂が間借り同居するような態をなしている。古今、宗教間の争乱軋轢が常であるのに、不思議な融和空間をつくっている。スペイン各地の建造物や庭園に見られるこうしたイスラムとカトリックのハイブリッドは見事に融合しているケースが多い。CD「星月夜」に収められているスペインの作曲家コレア・デ・アラウホは、セビリャのモスク転用のサン・サルバドール教会のオルガニストだったという。
スペインのオルガン研究は小島さんのライフワークでもある。アンダルシアを中心に各地の教会で多くのオルガンを弾いてきたけれど、全土に教会は点在している。常住の司祭がいない場所もあって、古びた鍵を借りて一人で堂内に入る経験もした。心安らぐのはどこへ行っても人々の眼差しが温かいことだ。
ヨーロッパでは十六世紀頃のオルガンが修復を繰り返しながら、今も使われているものがある。北イタリアベルガモ近郊のサン・ニコラ教会で小島さんが弾いたオルガンは、名工と云われたコンスタンツォ・アンテニャーティが一五八八年に制作したのだという。教会のこのオルガンは音色が十一種類だけの小さなものだったが、その中のPrincipaleという一つの音色がこの上なく美しく、その音だけで、いつまでも弾いていたかったと懐かしむ。
日本にはじめてオルガンが設置されたのは天正年間、キリシタン大名の高山右近が治める高槻であったというから、織豊期の楽器が現役なわけだ。当時の宣教師の手紙に「オルガンがあれば、日本人信者をいくらでも増やせる」とあるそうで、我らの祖先がいかに強くオルガンの音に魅了され、魂を揺さぶられたたかがわかる。
私自身は宗教とは無縁で敬虔な感覚とは程遠いけれど、パリのサントゥスタッシュ教会でのパイプオルガンコンサートでバッハの曲を聴いたときは、地上に繋ぎ止められている身が重力から解き放たれるような体感を味わい陶然となった。教会の石壁に沿って可憐な蔓花のように螺旋を描いていった音。そして、音はこの身だった。
パイプオルガン上納五十周年記念のコンサートを聴きに、築地本願寺を訪れた。わたしは築地の生まれなので、広い境内は遊び場の一つだったが、本堂に入ったのは、お寺の真ん前にある築地小学校の教師の葬儀のときが初めてで、そのスケールの大きさと壮麗さに、幼い親しみが畏怖に一転したことを憶えている。小島さんは本願寺の元専属オルガニストである。僧侶の唱える声明と雅楽とともにオルガンを演奏したことがあると伺っていたが、法要での演奏に違和感はなく、森閑とした堂内に響くその悠久な音色は、彼岸とはこのような風景なのかという驚嘆だった。
同じ頃、本願寺からほど近い聖路加国際大学のチャペルの「夕の祈り」礼拝に参列し、再び小島さんのオルガン演奏を聴く機会を得た。ここは10代の頃、長い入院生活を送った病院で、クリスマスも退院できずに礼拝に車いすで連れて行ってもらったことがある。一歩先さえ見えない日々の閉塞感の中で聴く聖歌の響きに、看護師さんにハンカチを借りたことを思い出す。白衣の医師や看護師が行き交う旧館の佇まいは変わらないが、オルガンの澄み渡る音色は、幾星霜を経た病院を包み込む小宇宙から吹き通ってくるかのようだ。
本願寺と聖路加病院のチャペルと築地カトリック教会の協同でのコンサートもあったと聞く。祈りを込めるように弾く小島さんのオルガンの音の一粒一粒は、なべて大いなるものへの捧げものであるだろうか。
その聖路加病院の前庭に、一五〇年前に礎石を置いたわたしの母校のミッションスクールの碑があるのだ。母校では早朝礼拝やクリスマスなど行事ごとにピアノ伴奏の賛美歌斉唱があった。パイプオルガンは卒業後に設置され、以来その均整の取れた演奏に耳を澄ますたびに、曙光がさしこむような心地を抱いてきた。オルガニストは小島さんの友人であることを知った。
そして数年前、自宅から近い聖パウロ教会で、晩年の母とともにパイプオルガンの演奏を聴いたことがあった。母は、「天使が奏でる音楽のようねえ」と囁いた。かつてロシアで訪れた教会のフレスコには天使がラッパを高らかに吹いている絵柄があった。後に小島さんから見せて頂いた、ヨーロッパのあるパイプオルガンの写真には管の一つ一つに天使の彫刻。昨年エクリで上梓した詩画集の詩人レールモントフには「天使」という詩がある。「詩人は、天使の言葉を運び奏でる魂なのだ」と詠う。演奏家もまた天使の楽の音を紡いでいる。
小島さんがこの教会のコンサートで度々演奏していると伺い、心弾んだ。慈しむように、あるときは快活に表情豊かに、あるときは堅牢に重層的に奏されるパイプオルガン。演奏前の一瞬の沈黙の後、小鳥の囀りのように、音が語りかけるように、物語のハーモニーとなって聖堂内に降り積もる。
小島さんがこれまで弾かれている数多の空間に、わたしの追憶がトレースされて浮かび上がり、思わずワンダーとつぶやいてしまった。
すぐ目の前で笙が吹かれるのを聴いたことがある。細長い竹管から立ち昇る音に金属的な響きがあるのが意外に思えたが、リードには中国製の銅鑼の欠片を使っていると奏者に教えられ納得がいった。そして、音の連なり膨らみ、直立する竹管の束からパイプオルガンを連想したのだった。だから、先夜築地本願寺の演目の一つで、笙とパイプオルガンが共に奏する曲の登場に胸が躍った。掌に乗る大きさの雅楽の笙と二千本の金属のパイプが山をなす巨大なオルガンの音が、東西混淆の聖堂の中で釣り合い、二つの息吹と揺らぎが雲上を滑るように流れていった。
小島さんは音を空間にそっと載せるように奏でる。彼女自身が導管となって音を呼び出し、澄んだ光を振りまいていく。「弾く」というより、音と手をつないでくるのだ。
今後、合奏してみたい楽器を尋ねると、オーボエいう答えが返ってきた。私が一番好きな管楽器なので実現が待ち遠しい。そして挑む時が熟したらつくりたいとおっしゃるバッハのCDであれば、「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」BWV639を第一に所望したい。アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」で冒頭から使われている曲だ。ロシア人タルコフスキーの映像にはいつもミステリアスな宗教性が伏流していて、SFのコスミックな世界を描いていてもそれは変わらない。小島さんの奏でるバッハの旋律からはどんな映像が聴こえてくるだろうか。
「きんりん」だから当たり前のことだけれど、特にこの12号と11、10号の方々の住まいや店はお互い近くに位置している。直線距離で二、三〇〇メートルずつくらいだろう。CD「星月夜」の冊子に載った小島さんの写真には、©Yoshinori Odagaki と入っている。二〇二〇年に転居したが、このカメラマンの住まいもまた数百メートルの至近にあった。このプロフィール写真の小島さんは正面を向き、左手で頬杖をつき微笑んでいる。今回の記事をまとめるにあたって、エクリの事務所で小さな集まりをもった。長めのテーブルで私の真向かいに座る小島さんが、時折、写真と同じポーズを取り微笑むのだった。Odagaki氏は、この時が一番小島さんらしいと感じ、シャッターを切ったのだろう。実像と写真が映りあい、不思議な感覚でお話を伺っていた。
制作 :エクリ
ロゴ :伊藤弘二
写真 :大野貴之
写真提供 :小島弥寧子
レイアウト:須山悠里
文責 :須山実・須山佐喜世(エクリ)
撮影協力:日本聖公会 東京教区 聖パウロ教会
CD「星月夜」のジャケット
スペインのセビリャ郊外マルチェーナにあるサン・ファン教会のオルガン。手前のトランペット状の管のあるものは1765年、奥は1802年の制作