春の花々の開花が例年より早かった二〇二一年の三月、菜の花畑から立ちのぼる強い香りと通奏低音のような蜜蜂の羽音を浴びて空を見上げる。
・・・若年の蜂は、脚に麝香草を満載して、夜遅く/疲れ切って帰ってくる。若蜂たちはあちこちで、野苺や、/青緑の柳、沈丁花や、赤いサフラン、/豊饒な科の木や、紫色のヒヤシンスの養分を吸ってくる・・・
黄金色の蜂群れがホバリングする華やかな響きに、紀元前三〇年頃のローマの詩人ウェルギリウスの『農耕詩』が呼び起され、二千年の時空がひとつながりになったように感じられた。世田谷区等々力の大平農園での昼下がりのことだ。
映像作家の友人が二〇一八年に制作した「大平農園401年目の四季」。この映画では無農薬の野菜を提供し続けてきた世田谷区の農家の歴史と営為、支援に携わる方々の活動が六〇分ほどの中に活写されている。農薬の過度な使用による家族の深甚な健康被害と死を経ての道のり、現実に立ち向かうというより、受け止め静かに歩き出す向日的な姿に胸打たれた。
大平農園は名のみ耳にしていた場所だったが、目を見張ったのは、畑の一隅で養蜂が行われていることである。都市部であっても花咲くところ蝶や蜂は飛んでいる。しかし、比較的緑が多い東京周縁区内とはいえ、我が家から徒歩圏内で蜂蜜がつくられているのは驚きだった。この映画に登場する養蜂家の渡辺英雄さんは農園で蜂を飼ってから二十五年になるという。かつて国際養蜂協会連合の理事をされていた方で、「無農薬だから蜜蜂も喜ぶんです」と、ご自身も嬉しそうに話されている。この養蜂の様子が見学できると知り、農園の野菜を購入している近隣の友人たちと誘い合ったのだ。案内は渡辺さんのご子息の宏さん、蜂飼いを名乗って等々力の農園と実家の屋上、そして青森の十和田市を中心に養蜂を行い、蜂蜜やプロポリスなどの養蜂製品を扱うビーハイブジャパンの代表である。
先ずは全員、顔も保護する帽子に防護コート、手袋を付け、無闇にはたいたりしなければ刺される心配はないとアドバイスを受ける。私は二度、蜂に刺されたことがある。防護を整えると、スッピン時よりも刺された記憶がよみがえってきてしまう。農園の巣箱は七箱、近づくと羽音が激しくなる。間近で耳にする四万匹という蜜蜂の唸りには身が縮む。
渡辺さんが燻煙器と呼ばれる薬缶型の煙出しを使って蜂たちの興奮を鎮める。この方法の起源はとても古い。紀元前のエジプトのレリーフに燻煙の様子が刻まれているし、先のウェルギリウスにも「手で煙を放つものを差し出して、蜂を追い払え」とある。
蓋を持ち上げ巣板を取り出すと、蜂の群れがうごめく中に、濃金色の蜜がたっぷりと溜まっている。花蜜は光の雫だ。
その場で、三種類の蜜を味あわせてもらう。菜の花、桜、つつじ、藤など数種類の花蜜が含まれた最初の一匙は、「春一番」と名づけているという。花束の味ですと渡辺さん。亡くなった父を継いでからはじめてつくった「春一番」に、「お父さんの味だ」と涙を流したのは、宏さんの妹さんだった。香りは記憶そのものである。二匙目は六月頃咲くモチノキから。違いをしっかり味わうためにと、水を一口入れるように勧められる。事前に注文しておいた大平農園から二〇二一年に届いたのが、このモチノキの蜂蜜だ。糖度が高いけれど口当たりはやさしい。
農園の蜂蜜瓶に同封されていた宏さんの通信に「この季節のはちみつは華やかな香りが溢れ、ミツバチの世話をしている時もこの香りで幸せな気持ちになります。ミツバチ達は集めた花の蜜に酵素を加えて、さらに水分を飛ばして濃縮し、はちみつを作っています。そして出来上がるとはちみつでいっぱいになった六角形の巣の上に蜜ろうで蓋をします。私達はこの蓋がされるのを合図に、はちみつの一部を分けてもらいます」とあった。
三匙目は蜂たちの越冬用になるもので、アベリアやサルスベリという盛夏の花が蜜源だ。そう聞くと、ボリューム感があるように思える。
一度、蜂箱を見たことで、いっそう蜜蜂への興味が深まり、再度、七夕の日の見学を予約した。雨が降ると、蜂たちは外へは飛び立たず巣ごもりしてしまうので見学はできない。数日来、梅雨空が続き予報も芳しくなかったが、てるてる坊主信奉者の家人の念が通じてか、梅雨の晴れ間となった。三月の一回目と異なり、薄い防護コートが蒸し暑い。そして一度目と大きく違うのは、蜜蜂の羽音が掻き立てた恐れが消え、むしろ気分が弾んでくることだ。
宏さんが尖った掛け金具を使って、ゆっくりと巣板を持ち上げる。外枠との隙間がほとんどないので、蜂を潰してしまわないよう息を詰めての作業だ。傷つけでもしたら「アブナイ奴と認定されてしまってお付き合いできなくなってしまう」のである。
女王蜂が示される。体長は働き蜂の倍はありそうなので一目で区別がつく。かしずくように、働き蜂が回りを囲んでいる。
「女王蜂の役割と立場を要約するなら」と『青い鳥』の作者メーテルリンクが著書『蜜蜂の生活』で書いている。「街の心臓であるが同時に奴隷でもあり、そのまわりを働蜂が街の知性となってとりかこんでいるというふうに定義することができるだろう」と。
「街の心臓であり奴隷」たる女王蜂は、女王に生まれるのではなく、特別食ローヤルゼリーを食べさせられて女王蜂になるのだ。同じ雌の働き蜂は、三、四年生き続ける女王蜂と比べて遥かに短命だ。巣ごもりの冬に向かう時期のウィンタービーと呼ばれる蜂は六カ月くらい生きるが、外働きでエネルギー消費の激しい採蜜蜂は一カ月くらいの寿命のようだ。
働き蜂の仕事は成長に従って役割が変わる。羽化してしばらくは、まだ小さく暖かいところを好むので、巣房の掃除である。もう少し大きくなると巣外へのゴミ出しをする。
「この子がちょうど仕事中です」と渡辺さんが入り口から出てきた一匹を示す。死んだ雄バチを抱えているらしい。真下に掻き落とすのではなく、少し離れた場所まで捨てにいくようだ。その身にはかなり重いのだろう、よたよたと飛んでいる。掃除係の次は幼蜂の世話役となり、採蜜に飛び立てるのは長姉グループに育ってからだ。外勤となった働き蜂が集めるのは蜜ばかりではない。子育ての蛋白源となる花粉も欠かせない。一度飛び立つと一千近くの花に潜り込み、体を覆う毛に付着した花粉をこそげ集めて団子にして巣に持ち帰る。
採蜜蜂たちは蜜や花粉のありかを伝えるという探索蜂の尻振りダンスによって蜜源への方向距離を読み取り、いっせいに飛んでいく。蜂飼いの渡辺さんはこのダンスを読み解くこともできて、蜂たちの飛ぶ先がほぼ分かるという。
ビーハイブジャパンのホームページに、花から花へ移動して花弁の中に潜り込んでいく蜜蜂の映像が流れている。熱心な採蜜の様子は見飽きない。
「蜜蜂はね、声を出すんです」と宏さんが言う。「どうもね、良い花畑をみつけたと呼びかけているように聞こえる気がします」
いつもいつも身近で接しているのだから、空耳ではなかろう。聞いてみたいけれど、シロートの耳では無理にちがいない。
緑豊かで静かな住宅街が広がっている農園一帯にも大敵スズメバチが棲んでいて、時折襲ってくるのだという。見学中にも、いかにも凶悪そうな大型のスズメバチが一匹の働き蜂をさらっていった。「彼らにも子育てがありますからね」と渡辺さん。
蜂同士の争いばかりではない。一度、病気が発生すれば集団ゆえ被害が大きいから、房内は絶えず清潔に保っておかねばならない。そのために使われる樹脂コーティングが、私たちの健康食品ともなるプロポリスである。
一生休むことがない街の知性たる働き蜂は英語(worker bee)、フランス語(abeille ouvriere)、ドイツ語(Arbeitsbiene)でも働く蜂と呼ばれる。
ロシア語(рабочая пчела)も働き蜂は働く蜂だ。
「蜜蜂は、自分のためにも、人間のためにも、神のためにも働く」とか「蜜蜂は小さいけれども働き者」と言う諺があるくらい養蜂の歴史は古い。その蜜は、ケルトの世界と並んで、古代スラヴの異教時代からも特別な神酒として供えられ、養蜂家の守護聖人のイコンには、蜂が分泌する蜜蝋を灯したとも。
世界の百カ国以上の国々で人気のロシアアニメ「マーシャとくま」の主人公のミーシャが、花や野菜、果物を育てている庭でミツバチも飼っていて、いたずらっ子のマーシャとくまのミーシャが遊ぶ場面のあちこちで飛び回っている。庭には七つの巣箱が並んでいて、ある日ミーシャが燻煙機を抱えて巣板に吹きかけて蜂をなだめ、とろりとした黄金色の蜂蜜を壷に集める。菜園の中にある渡辺さんの養蜂場に入ったとき、まっさきに浮かんだのが、そっくりなこのお話のシーンだった。その後、ミーシャがガールフレンドにプレゼントするために片手には壷、もう片手には庭で摘んだ白い小菊のような花束を持ってうきうき森に出かける場面は、もう一つのさやかな風景に繋がってゆく。
花畑と蜜蜂。キエフ近郊のウクライナの古都、チェルニゴフという街で、キエフ美術館のスタッフたちと休日にピクニックに出かけた花畑には、ぶんぶんぶん、蜂が飛んでいた。
一面白い花が満開で、名を尋ねてカモミールと教わった。カモミールはロシアの国花という。蜜蜂は採蜜にハーブも好むということものちに知った。チェルニゴフは、悲劇の地チェルノブィリから東へ七五キロメートルしか離れていないが、原発事故のずっと前の平穏で澄み渡る時空は子供のような夏だった。
「きつねとくま」という昔話も、人の良いくまがずる賢いきつねにだまされて大事な蜂蜜を食べられてしまう話だし、国民的詩人プーシキンが古老から聞いて創作したいくつかの民話の最後には決まり文句のように「そこでわしは蜜酒やビールを出されたが、髭を濡らすくらいしか飲めなかったけどなあ」と結ばれている。飲み物と言えば、はちみつにシナモンやハッカ、月桂樹などの香料をいれた庶民に愛された「ズビーチェン」。十九世紀ロシアの冬の街頭で、「さあさあ、熱いズビーチェンを味見していってよ!のんでいってよ!いい味、いい色だよ!」といってサモワールに似たやかんに入れて男が売歩く絵柄が、ロシアの民衆版画であるルボークにも見られて楽しい。
渡辺さんの蜂蜜をヨーグルトに入れたときに立ちのぼる香りは、わたしにとっては涯しなく懐かしいロシアの香りだ。
人類がこの恵みをいただきはじめたのが、紀元前二、三千年前のこと、この繰り返しの営みに想いを馳せるとき、わたしが育てているささやかな実のなる樹や花が、健気に季節毎に紡ぐ営みと重なって、蜂も自然も人もいとおしい。
「蜂場の群れのほとんどで花粉が足りておらず気がかりです」。この一文が八月の半ばに、ビーハイブジャパンのフェイスブックに上がった。気象や環境条件の変化に蜂たちは素早く敏感に反応する。蜂たちの伴走者にして主治医、そして友でもある渡辺さんのセンサーも彼女たちのシグナルに共振するのだろう。渡辺さんは自らを地域生態系のモニターであると称しているのだ。
蜜蜂の健康は、周辺に十分な量と種類の花をつける植物があることが絶対条件である。十和田の養蜂場では、いずれ豊かな蜜源をつくってくれる木を植樹し、翌年に花をつける草地を育てている。しかし、都会住宅地の養蜂は地域の自然と一体化しており、庭の花木の伐採や雑草の刈り取りにも影響を受けてしまうのである。今回は幸い、花粉の状況は程なく回復したようだ。
熱暑が続いた八月のある日、「蜜絞りをご覧いただけます」との連絡があった。
前回の七夕時よりさらに防護コートが息苦しく、一気に汗が滴る。「この時期、刺してくるのは蚊の方」だそうだ。
蜜を取る巣板を持たせてもらう。見かけよりはるかに重くなっている。貯まっている蜜の重量なのだ。一枚の巣板から約二キロの蜜が採れるという。渡辺さんが巣板を持ち上げて、大きく一振りすると、両面にびっしりと群がっていた蜂群れが一気にはたき落とされた。「警戒させないよう不意打ちするのが肝心」だという。
三枚の巣板を目黒区の碑文谷にあるビーハイブジャパンのラボに運び、蜜を絞る日である。工程はシンプルだ。巣板の表面を覆う蜜蝋の蓋を包丁でこそげ落とし、円筒形の遠心分離機に入れ、ハンドルを手回しする。回したのは二十回にも満たなかったのではなかろうか。コックをひねると濃厚な蜜がたっぷりと流れ落ちてきて、ラボ全体に蜜の香りが広がる。
真夏の花、サルスベリから生まれたフレッシュな一匙の蜂蜜を手にする。一匹の働き蜂の一生をかけての営為がこの匙に満たされているのだ。蜜蜂の祖先の出現は三千万年前、今の種が派生したのは百万年以上前だと言われる。そして私たちは、たった今絞った蜜を口に入れる。
制作 :エクリ
ロゴ :伊藤弘二
写真 :大野貴之
レイアウト:須山悠里
文責 :須山実・須山佐喜世(エクリ)