学芸大学東口商店街のBAR
はじめて入ったそのバーはとても暗かった。「いらっしゃいませ」という声のありかもおぼろだった。街路より店の中の方が暗いのである。学芸大学東口商店街を駅から五十メートルほど進み、路地を折れてすぐのバー。二頭の羊とBAR LAMBの文字が古びた灰色の木扉にあるのを見つけ、引き寄せられて階段を上がってきたのだ。
太い蠟燭が何本も置かれているが、四隅まで浸す光量に慣れている都会者の目には闇に近く、停電の応急処置のように感じられた。自分の足元が見えない。客の姿はなかったので、私たちはカウンターに沿って摺り足で進み、奥のスツールに並んだ。最奥の灰黒の窓の下は夜なお明るき商店街、人も光もたっぷり行き交っている時間だ。壁一枚隔てた別世界。路地に入る左右の店はどちらも食のチェーン店である。目が慣れて、バーテンダーの顔と背後にびっしり並んだLPレコードのボリュームがフレーム・アップすると、私たちを含めて完璧な構図に収まった気がした。
私はアイリッシュの銘柄を尋ね、ロックを注文した。「かしこまりました」の丁寧な言葉が穏やかに発せられ、そちら様はと問う眼差しが家人に向けられた。
バラライカ
わたしはウォッカにしたかったけれど、カクテルの名前など知らない。マスターが勧めてくれたのは「バラライカ」。細身のグラスに注がれたのは、淡い灰白色に一滴グリーンの光を透したような液体。これがウォッカ? 天空から星降るような音色のバラライカとは!
ロシア文学や中世ロシア美術に惹かれ、ロシアの音楽の源を辿って習い始めた楽器の名前のカクテルで、一気にここが親密な空間になってゆく。
カクテルを味わいながら思い出す。
かつて、ウクライナのキエフで、展覧会のアテンドをしたことがあった。仕事の合間に、黄色のたんぽぽが咲みだれるドニエプル川のほとりで休んだ。力仕事中の男性が小瓶から何か飲んでいる。朗らかに笑みを送るその人に思い切って尋ねてみると、「スピリッツだよ」と言い、当時携帯していた辞書の裏表紙に、度数96度と書いてくれる。「飲んでみるかい?」と瓶を差し出され、興味津々だったけれど、度数を聞いただけで丁重に断る。その横に彼が書いてくれたのは「仕事は森へ逃げない。オオカミではないのだから」という諺だった。きっと緊張の積もった表情のわたしを、ふんわり慰めてくれたのだろう。
部厚い枕木材でつくったカウンターテーブルと繊細なカクテルグラス。「バラライカ」を口に含んだ家人は遠い眼をしている。
BAR LAMBスタイル
本とコーヒーをセットで好きな人は多い。木林文庫への来訪者で、これまでコーヒーが苦手と言われたのはお一人だけだ。加えてアルコール類にも吸引されるという方に会うと「学芸大学駅にはBarもあるんだぜ」と声を低めて自慢する。「いい街の条件は古書店とコーヒー屋。根を張るべきは三つ揃いの場所だな」と。私たちの住まいから古書店流浪堂まで三百六十歩と「きんりん」一号に書いたけれど、LAMBはもっともっと近い。扉まで二二四歩。ステップを十二プラス一段で十三階段。
LAMBをオープンさせる二〇一〇年十月までに、店主の辻野正晴さんは三カ所のBarで、約六年の「徒弟時代」を過ごしている。はじめの二つは日本橋と新丸子にある同じ系列店で、社員として務めた。最後の一年の自由ヶ丘のBar「レッドチェア」は、自分が開く店舗が見つかるまでという契約の「我がまま仕事」を通させてもらった。この一年はしかし単なる「つなぎ」ではなく、スタイルの違いを知るうえで貴重な経験となったという。観察、学びのためにお客となって何十カ所のスツールに腰かけても、カウンターの彼我では見えてくるものがまったく違う。氷の仕込からライムの絞りまで、以前のBarとはことごとく異なっているため、それまでの型を脱ぎ捨てねばならなかった。熟練とお仕着せは紙一重。だから修行中に身に付けた基本ルーティンを元に整えたLAMBスタイルは、夜毎の流れを受けて今でも柔軟に着替えている。変えることを学んだのだ。
極論すれば、品揃えの多寡はあれども、ボトルが同じなら酒の味は変わらない、と物知らずの私は不遜なことを考えていたのだった。バーテンダーの白いシャツは時にはシルク、あるいは鋼の鎧となるのも知らずに。
バーテンダーの手作り蠟燭
「隠れ処」などという意味不明の括りがBarの紹介ではいまだに横行している。
LAMBは住まいに近いから億劫がらずに入るのだが、距離は理由の第一ではない。私にとっては三番目あたりか。トップに蠟燭を上げたとしても辻野さんには失礼にはならないだろう。店内の蠟燭はすべて彼の手づくりなのだ。何度か通ううちに、エクリの事務所にも欲しくなり注文してしまった。木の葉を練り込んだつくりで、惜しくて火を灯すことができず、置物になっている。この蠟燭は高さが三十センチ、直径が十五センチある。辻野さんは蠟燭制作のために借りていた近くのアトリエで二度、蠟燭の個展を開いている。今年(二〇一八年一月)展示した個数は百を超えたという。作品の数もさることながら、集まった方々から辻野さんの交友の幅広さが偲ばれた。コントラバスのソロライヴも洒落た演出だった。
私は蠟燭の炎が好きだ。溶け合っている光と闇。幻の生まれいずる場所だ。
「窓と窓の間の壁面には、彫刻を施した黒枠のついた大きくてくすんだ鏡が掛かっていた。そこに映っているものを目にして、私は思わず青ざめた。ところどころすり減ったアマルガムの貼られた鏡に映し出されていたのは、火のついた蠟燭を手に持ち、用心深く爪先立ちになって城の廊下を歩く私自身だったのである!つまり、この鏡には数分前の私の姿が映っていたのだ!呼吸を止めて私は鏡に映った自分の姿を見ていた。」
蠟燭と鏡。引用したのはエクリで刊行したアンドレイ・タルコフスキー監督の未完のシナリオ小説『ホフマニアーナ』からである。幻となってしまった幻想作家ホフマンの伝記映画だ。とりわけ、このシーンは見てみたかった。
窓辺で小さな炎が揺らめいていた。天井近くまで高く切られた縦長の窓の外はまだ暗い。デルフトの街は学会が催されているとかで、予約なしの私たちはホテルが取れず、ツーリスト・インフォメーションで紹介された個人宅に宿泊したのだった。
長身のオランダ人に合わせて、こんなにも高くしているのかと思われる天井の下、長い距離を横切って窓際のテーブルに近づくうち、こちらの身の丈がアリスのように縮んでいく気がした。二人分の朝食が載った丸テーブルは小さかった。一本の蠟燭がもたらす光はあまりにわずかなので、自ずとテーブルに身を屈めてしまう。
眼下の運河と石畳を照らす街路灯はまばらで、黒く濡れた道を走る自転車の音が時おり聞こえてきた。時が澱んだような暗い運河の佇まいは、ここデルフトをロケ地とした映画を呼びおこさせた。無声映画の名作「ノスフェラチュ」をリメイクしたドイツの監督ヘルツォークの作品だ。ここは似ている。私たちが番地を追って扉を叩いたときに既視感があったのだ。
レストランで、はたまた結婚式場で、蠟燭は雰囲気づくりに使われるが、照明を蠟燭だけに頼っている場所はなかった。どこかに補助灯があって、程よい暗さのごときものを演出している。デルフトの部屋にも常夜灯か廊下からの灯があったのだろうが、空間があまりにも大きいので、他の灯はないも同じだった。LAMBも蠟燭以外の灯を配しているのだが、巧みに存在を消している。
Dark end of the Street
空間の明暗はたぶん、音の響きや伝わりにも影響がある。LAMBでは、会話と音楽のどちらも等分に耳に入ってくる。光量と音量の絞り加減が辻野流の基本なのだろう。
Barのオープン当日にかける第一曲目を何にするか。友人たちとも相談しながら三曲をセレクトしたうえで、針を落としたのはライ・クーダーの“Dark end of the Street”。後にこの曲には歌詞があるのを知った。「実のところハレの日には相応しくなかったのです」と辻野さんは苦笑する。ともあれ、タイトルは店に相応しい、額を寄せた友人たちもそう考えたのだ。私たちエクリの「テーマ曲」もタイトルから選んでいる。「ドラゴンボール」のサントラに入っている「流星図書館」だ。歌詞もいいけど。
家では同じ曲を繰り返し聴き続けてしまうので、私たちの知る音楽は限られている。LAMBではいつもはじめての音に出会う。話題が重なったのはローリング・ストーンズの東京ドーム公演の時くらいだ。そのライブの演目にはなかったけれど、辻野さんも私も“paint it black”が気に入りである。タイトルからして高揚する。
千枚のLPレコードを背に、他のお客さんたちと辻野さんの会話もほとんどが音楽にまつわるものだ。来客の好みに合わせて曲をセレクトしている。「きんりん」二号で紹介した「あんぐいゆ」の木村さんはLAMBで耳にした曲に強く打たれ、自分の店でもしばらくそのCDを鳴らし続けていたそうだ。私も、オーダーしたグラスが出されるのと同時にピンク・フロイドの“ECHOES”を何度か流してもらった。
辻野さんは休日には必ず一本映画を見て、レコード店に回る。購入は毎週二枚に抑えているという。それで抑えていると言えるのかと一瞬口に出かかったけれど、「お前は何をしてきたのかと」積まれたままの本が私に言った気がしたので、言葉を呑んだ。
左利きのバーテンダー
近隣住民なので、私たちは街でもすれ違う。当然のことながらBarカウンターで相対している時とは、佇まいが別人である。時おり出かける銭湯で顔を合わせると、いなせな兄さんとなる。
LAMBが一番賑わうのは東横線の終電過ぎだというから、口開けの九時頃に入店する私たちの時間とは雰囲気が変わるのだろう。明るい午後、すれ違う辻野さんの瞼がひどく腫れぼったいときは、前夜お客と一緒になって杯を重ねたにちがいない。
爽やかな立居と明るい音楽談義。そんな辻野さんでも「人あたり」するという。イラストレーターの宇野亜喜良さんは「左利きの魔術師」と呼ばれるけれど、「左利きのバーテンダー」たる辻野さんはハード・ボイルドの住人と決め込んでいたので、人あたりとは意外だ。
夜間の二十一時からほぼ未明までの立仕事、そして接客業ゆえの「人あたり」から、辻野さんが休日に求めるのは「緑」だという。闇夜の水先案内人は光合成で甦るのだ。
「バラライカ」とわたしはロシア語で呟く。切れのよい最後の香りが喉を滑る。
ロシア人は「ダドナー」と言いながら飲み干してグラスを逆さにする。「ダ」は「〜まで」と言う前置詞、「ドナー」は「ドノー」という「底」を意味する名詞がこの前置詞によって変化して「ドナー」に。つまり「底まで(飲もう!)」
何故か、お酒に関する単語は、最初に習う挨拶などより早く憶えられる。仕事柄こんなことを繰り返すうちにアルコールに強くなったのだと思い返していたら、すでに目元の赤い夫が二杯目を所望している。
LAMBのマスターが目顔で問いかける。「もう一杯おつくりしましょうか」と。
「お願いします」。